馬淵澄夫

【馬淵澄夫】特措法ではいけない生前退位

21日の両院議員総会で選挙対策委員長に就任した。
1年8ヶ月ぶりの党本部の選対委員長だ。
下野して以来3年9ヶ月のうちの3年5ヶ月間、幹事長代理、幹事長代行、選対委員長、筆頭副幹事長、特命副幹事長として一貫して選挙対策実務に取り組んできたので、いついかなる場合でも、担う覚悟はできている。
 次の国政選挙は、年明け早々の解散総選挙と想定しているので、あらためて、全身全霊で取り組む所存である。
 さて、明日から臨時国会が始まる。
論点は補正予算やTPPなど様々だが、その一つに、天皇陛下の生前退位が挙げられる。
去る8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」が発された。そして、そこに「殯(もがり)」に関し、陛下から、以下のようなお気持ちの表明があった。

「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。」

 殯(もがり)とは、天皇が崩御したとき、天皇霊を新帝に引継ぐために、霊・肉を分離し、魂を浄化することにある。
 なぜ、このタイミングで陛下が「殯」を持ち出しこのような思いを述べられたのか?
 2013年、宮内庁は天皇・皇后両陛下の葬儀やお墓の在り方を大きく変更すると異例の発表をした際、火葬を望まれるという両陛下の当時の思いを示した。このことと、併せて8月8日の「殯」への言及を考える必要があると思っている。

 それは、日本の天皇位の根拠が古代における即位・大嘗祭(だいじょうさい)の特殊な構造にあることを理解しなければならないからである。そこには天皇の死を契機とする殯、即ち遺体の腐敗が死の穢れと連動することにより、新しい天皇の誕生に影響を及ぼしていた過去があるからだ。

 そのヒントは天武・持統朝と呼ばれる時代にある。
壬申の乱の後、日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作られたと言われる時代で、天皇を称号とし日本を国号としたのもこのとき。
古事記、日本書紀の「記紀」には、「神話」的叙述の段階から「大嘗」や「新嘗(にいなめ)」の語が登場するが、これらが明確に区別されて使われるようになったのも、天武以降であった。

「折口信夫は昭和3年に発表した『大嘗祭の本義』のなかで、大嘗祭儀のうちに鎮魂祭と天皇の死=再生の儀礼が織り込まれていることを論じた。禁中に仮設される悠紀(ゆき)・主基(すき)の両殿に天皇の寝所がつくられ、茵(しとね)と衾(ふすま)が用意される。これは日嗣の皇子となる後継者がその資格を完成するために、寝所に引き籠って物忌みの生活に入るためのものである。そして『日本書紀』の天孫降臨の場面で、ニニギノミコトのからだを覆っていた『真床襲衾(まどこおうふすま)』がちょうどこの大嘗祭における寝所の茵と衾にあたるのだという。その真床襲衾を取り除いて起き上がるとき、ヒツギノミコははじめて完全な天子となると信じられていた。このとき先帝の『魂』が新しい天子のからだに入って、その永遠の生命の活動をはじめるというのである。折口がここで強調しているのは、天皇の肉体は一代ごとに変わっていくけれども、その肉体から肉体へと継承される『魂』は不変だということである。かれはその『魂』を永遠の『天皇霊』と同一視した。そして第二に、血統上ではもとよりそこに『皇位』の継承が考えられているが、しかし信仰上からは不変の魂(天皇霊)の継承のみが想定されているのだという。天皇の魂の不変性を儀礼的に保証するものが、毎年くり返しおこなわれる復活鎮魂の祭りとしての新嘗祭であり、代替わりのときにおこなわれる大嘗祭なのである。」

(山折哲雄「死の民俗学」より)

 このように天皇の皇位継承は、即位礼に続く大嘗祭によって完結する。
これは英国など他の立憲君主国の場合と根本的に異なっており、それは「血」が繋がっていることもさることながら、永遠不変の「天皇霊」を先帝のからだから継承することこそが大嘗祭の本質だからである。
 「血」の原理では、それが初代のカリスマ性を保証するものではあるが、しかし、代を重ねるごとの血の濃度の減少はカリスマ性の濃度が希薄化することに繋がる。つまり、日本の皇位継承には、「天皇霊」の原理がより強くはたらいているのである。
 霊の原理は継受の過程でその濃度をいささかも減ずることがなく、血の原理と比べて相対的にその安定性は高い。
だから、大嘗祭が重要な儀礼なのである。
しかし、それは歴代の天皇が継承してきた天皇霊を新しい天皇がみずからの身体に受け入れることであるから、先帝の遺体の処理が滞りなく終了した後、すなわちその遺体から天皇霊を完全に分離させた後でないと行えない。つまり、先帝の葬送儀礼は何よりも遺体と魂をいかに分離するかということが課題となっていたのである。

 例えば、天武天皇崩御にあたっては、2年2か月の殯が行われ、持統天皇による大嘗祭は先帝崩御の約5年後となり、その間の祀りごとは停滞し、皇位継承、ひいては社会の秩序安定も損ねることになる。
そこで持統天皇は自らの葬儀にあたっては、火葬によって穢れを浄化できる仏式による葬儀を採用することになる。
 これにより、殯の期間が持統1年、次の文武5か月、更に元明天皇では一週間になり、先帝の鎮魂、滞りなき皇位継承、そして社会の秩序安定が極めて短期間に達成できるようになった。
別の言い方をすれば、宮殿の外部に仏殿が建てられ仏教との分業体制が整ったことにより、葬儀と天皇霊の継承といった浄穢(じょうえ)の分離を可能にする仕組みができあがったのである。
 以後、孝明天皇まで1200年間、天皇の葬儀に仏教が関与することとなった。京都の泉涌寺は皇室の菩提寺で「御寺(みてら)」と呼ばれ、月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれる陵墓には、四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9墓が営まれている。天智天皇から(南北両朝の天皇も含む)歴代天皇皇后の53の尊牌(位牌)もこの寺に安置されている。
(ちなみに、1654年の後光明天皇からは儀礼的火葬の後に土葬となる。)

 更には、先帝の「死」を契機とする皇位継承は、当然のことながら遺体の処理と皇位継承という有事に対応せざるを得ないことになる。
そこで皇位継承の場面から死穢(しえ)の排除ということを突き詰めていくと、「死」を契機とする皇位継承から「譲位」を契機とする皇位継承のほうがが、より安定した皇位の継承であると論理的には帰結していくことになる。
 そうであるからこそ、持統天皇自身は生前に譲位し、そのまま大嘗祭で孫である文武天皇へ穢れなき霊の継承を行ったと思われる。そして元明天皇が平城京に遷都した以降、元正、聖武、孝謙へと譲位が恒常化していった。

 このように皇統の中断なき継受を実現するため、(1)仏教との連携により天皇の死を外部化し、(2)譲位を恒常化するという、二重の防護壁を設けることで、先帝の死とは関係ない時空間で穢れなき大嘗祭が行うことができるようになった。もはや、殯の長期化に対する否定的な感覚は、この天武から聖武の時代に変更のきかない方針として定着しつつあった。

 ところが、慶応4年・明治元年(1968年)、明治政府は一連の神仏分離令を発し神仏習合を禁止し、明治天皇を現人神とする国家神道を国教化する方針に踏み切る。
同時に天皇が崩御された際の皇霊祭儀に関しても、1200年間続いていた仏式葬を止め、神式の「殯(もがり)」が復活した。
つまり、持統天皇以来、皇位が安定的に継承されていく為の仕組みが一気に壊され、復古という名のもとに不安定だった天武以前の時代に逆戻りさせられたのである。

 更には、天皇の葬儀とは直接関係ないものの、明治39年(1906年)に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は、「八百万の神々」に壊滅的なまでのダメージを与えた。
 明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって国家神道の純化を狙った。
 全国で20万社あった神社のうち7万社が取り壊され、土地の神様(産土の神)の抹殺により、地域の歴史も分からなくなった地域もあるという。
特に熊野信仰などは、古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立ったある意味「何でもあり」の宗教で、合祀の対象となりやすかった。三重県、和歌山県他3県の神社減少率は9割と言われる。
 3年前に「火葬」を望まれた両陛下の思いと、今回の「生前退位」、そして「重い殯」の行事をまるで忌避されるようなお言葉を併せて考えるに、それは持統天皇らのとった安定的な皇位継承に逆向する明治の「一連の宗教改革」に不快感を表明するもので、ひいては安倍政権が押し進めようとする憲法改正に象徴される、力による覇権、謂わば「明治レジーム」への激しい抵抗を「重い殯」という言葉に思いを込めて、ギリギリの球を投げ込んだのではないかと考えられる。
 生前退位が、この臨時国会で陛下の健康をおもんばかってとの建前で、「特措法」として処理されかねない状況である。
 上述した我が国の皇統にまつわる歴史を鑑みれば、まさに、安倍政権が推し進めようとするわずか70余年の歴史でしかない現行憲法の改正、あるいは明治維新を是としての覇権主義国家への猛進を、陛下の重い「おことば」によって、我々は熟思黙想して正道へと導いていかなければならないと、強く感じるのである。

参考文献:山折哲雄「死の民俗学」


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