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【小西洋之】安倍総理の9条3項改憲の狙いは安保法制合憲化だ! (前半)

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民進党の小西洋之参院議員が、安倍総理が憲法9条1項2項を残して自衛隊を明文化することを表明したことについて、安保法制が合憲化することになってしまうと懸念しています。

出典 : https://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/21557858.html

安倍総理は憲法記念日に、「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければならない」とした上で、「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という憲法9条改正を2020年中に行うべきと公言しました。

その理由として安倍総理は、「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲だとする議論が、今なお存在している。「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張ってくれ」というのは、余りにも無責任だ」との見解を示しています。

この安倍総理による9条3項改憲論は、実は、絶対の違憲立法である安保法制を合憲化してしまうとともに、同時に、日本が法治国家として存在していくことを未来永劫に不可能にしてしまう究極の蛮行です。

以下、そのことを分かりやすくご説明します。

1. 自衛隊を違憲の存在にしたのは安倍総理

最初に、安倍総理の9条3項改憲論が、その発言自体として、この世のものとは思えないほどに非常識で非論理かつ不合理な暴論であることを指摘します。

平成11年5月20日、大森内閣法制局長官は「自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められない」と国会答弁しています。要するに、安倍内閣以前は「自衛隊が合憲であるのはあくまでも自国防衛のためのみの組織だからであり、自衛隊は集団的自衛権を行使して他国を守る「他衛隊」となることは違憲の存在となるためできない」との憲法解釈で一貫していたのです。

また、これは同時に、「自衛隊員は絶対に、総理大臣の命令によって、集団的自衛権行使の戦争に命を張って戦い、戦死することはない。また、他の一般市民も、総理大臣が起こした集団的自衛権行使の戦争で戦死することはない」という、政府の9条解釈が立憲主義に立脚していることを意味していました。(立憲主義とは、「憲法は、武力行使(戦争)の発動などの国家権力のあり方を制限して国民の生命・人権を守るためにあり、それ以外のあり方は許されない」という考えです)

つまり、実は、自衛隊を集団的自衛権を行使する存在に変え、憲法学者どころか元内閣法制局長官にまで「違憲」と批判される事態を生み出し、自衛隊員を集団的自衛権行使という新しい戦争で戦死させるという立憲主義に反する暴挙を強行しているのは安倍総理自身なのです。

安倍総理の9条3項改憲論は、自衛隊員を始めとする国民を尊厳ある存在と全く考えず、また、法の支配や立憲主義という法治国家の至上の価値を何ら尊重しない、通常の人ではそもそも発想すらもできない戦慄すべきとんでもない暴論であることを、まずは皆さまと共有させて頂きたいと思います。

さて、憲法9条2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記してあるのに自衛隊が存在するのは不合理であるなどとして、憲法9条に新3項を設けて自衛権行使の根拠、すなわち、自衛隊の保持を明記すべきという主張は、以前より公明党の「加憲論」などがありました。(※1)

しかし、安倍総理が強行した安保法制が法律として存在する状況における新3項は安倍総理の主張する単なる「自衛隊の合憲化の確認」に止まらず、集団的自衛権行使など安保法制で解禁された違憲の軍事力の行使を合憲化することを意味します。

つまり、安倍総理の9条3項改憲は、違憲立法である安保法制の合憲化そのものなのです。

以下、具体的にご説明します。

2. 新3項の「自衛隊」は一体何ができるのか?

議論のために、安倍総理の主張を「忖度」ではなく推察して、9条3項の条文案を書いてみました。モデルは、違憲の解釈変更である7.1閣議決定にある集団的自衛権行使を可能にする「武力行使の新三要件」です。

 第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3 前項の規定に関わらず、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない場合に、必要最小限度の自衛権を行使するための組織として自衛隊を保持するものとする

さて、新3項に「自衛隊を保持するものとする」をいう文言を明記しましたので、これで、自衛隊が合憲であることは誰の目にも明らかになりました。
問題は、この自衛隊が一体何ができるのか? つまり、この自衛隊がどのような「自衛権の行使」ができるのかということです。

憲法改正を決定するのは国民の皆さんによる国民投票ですが、その前に、衆参の本会議で国会議員の2/3以上の賛成による憲法改正の発議があります。そして、この本会議で採決される憲法改正の原案は、その更に前に衆参の憲法審査会という委員会で審議されることになっています。

ポイントは、この憲法審査会及び本会議の審議の中で、当然に、憲法改正の原案を提案した自民党の議員に対して、「新3項の「自衛隊」は、個別的自衛権以外に集団的自衛権も行使できるという条文解釈なのか?また、米軍の戦闘のために弾薬提供などの後方支援や米艦防護などもできるのか?」という追及がなされるということです。

これは当たり前のことで、自民党の改正原案の提案者によって新3項の「自衛隊」の条文解釈が示されない、つまり、「新3項の自衛隊が何ができるのか?」が明らかにならなければ主権者である国民の皆さんは「その自衛隊の存在を憲法上に明記していいのかどうか」の国民投票の判断ができないからです。

歴史上の経験として、何だか得体の知れないものを条文に明記してしまい、後にそれが暴走して国民に大きな不幸をもたらした例は、明治憲法を始めとして世界の憲法や法律に数え切れないほど存在します。

つまり、新3項の「自衛隊」の条文解釈が「個別的自衛権しか行使できない!いや、集団的自衛権も行使できるのだ!」などといった玉虫色の解釈のまま、国民の皆さんの憲法改正の国民投票に発議されることなどあり得ないし、断じてあってはならないのです。

とすると、安倍総理と与党を始めとする改憲派は「集団的自衛権行使を含む安保法制は絶対に合憲だ」という主張ですから、自民党の提案者の条文解釈の説明としては、「新3項に明記される「自衛隊」は当然に集団的自衛権などを行使できる」というものしかあり得ません。

つまり、衆参で2/3以上を占める改憲派が強行するにしても、「自衛隊の存在を憲法上に明記するために9条に新3項を設けたいと思います。この新3項に明記される「自衛隊」は集団的自衛権行使を始め安保法制で認められているあらゆる軍事力を行使することができます。主権者である国民の皆さん、ぜひこの憲法改正を認めて下さい!」という説明による憲法改正の国会発議しかあり得ないはずなのです。

これは、単に自衛隊を9条に明記する改正に止まらず、「その自衛隊に何ができることを認めるのか」という9条の内容の変更を含む改正になります。

よって、安倍総理の主張する9条3項改憲は、そのあり方として、単なる自衛隊の存在の明記に止まらず、「集団的自衛権行使を始めとする安保法制で付与された自衛隊の違憲の軍事力の行使を合憲化する」という憲法改正にならざるを得ないものであり、安保法制に反対する全ての勢力は、何が何でも全力でこれを阻止しなければならないものなのです。

3. 新3項の「自衛隊」の解釈が不明なまま改憲が強行される

さて、新3項の「自衛隊」の条文解釈が玉虫色のまま改正原案が発議されることはあり得ないとご説明しましたが、間違ってもこれで「なんだ、結局は国民が判断して決めることができるんだ」と安心してはなりません。
安倍政治の下では、「国民の皆さんに改正原案の解釈が明らかにされないままに、国民の皆さんが改憲の国民投票に駆り出される」という法の支配・立憲主義に反する改憲が強行される空前絶後の事態も十分にあり得ます。

恐らく、安倍総理はこれを狙っているのだと考えます。

それは、自民党の改正原案の提案者が「安保法制が違憲かどうかは最高裁が決める。新3項は安保法制の合憲・違憲には関知しておらず(それは、1項・2項の解釈のみで決まる)、自衛隊の存在の明記だけを行うものだ」とのみ言い張り、新3項の「自衛隊」の条文解釈を明らかにしないやり方で憲法審査会と本会議の審議・採決を強行することです。

国会の憲法審査会及び本会議の役割は、憲法改正の原案が法的にどのような意味を有するのか、すなわち、「新3項に明記された自衛隊は一体何ができるのか」という条文解釈を明らかにすることにありますから、こうした憲法改正の発議は絶対に許されることではありません。

しかし、現に、後半の「4.」でご説明するように、国会審議の上では完全に違憲立法であることが立証されていた安保法制も「誤魔化し、すり替え、居直り、時間稼ぎ」などの安倍内閣以前には全くあり得なかった卑劣極まる手法による徹底した答弁拒否によって最後は強行採決され、共謀罪など他の法案審議においても、こうした法治国家と議会制民主主義の存立そのものを破壊する空前絶後の暴挙が常態化してしまっています。

そして、もし、こうした改正発議が強行され、それがまかり間違って国民投票でも認められてしまった場合には、憲法の条文解釈上は「新3項の自衛隊は何ができるのか?」は直ちには明らかになりませんが、実際には、次のように、「自衛隊は何ができるのか」について憲法の内容が大きく変わってしまうことが生じます。

一つは、安倍政権は、国民投票の後になって、「9条3項の改正により、安保法制が合憲であることについても国民投票でお墨付きを頂いた」と臆面もなく主張し始めるということです。そして、以前にも増して、安保法制の運用を際限なくエスカレートしていくことになるでしょう。

二つ目は、実は、この新3項が「安保法制の違憲訴訟」における最高裁の判断に悪い影響を与えることになりかねないということです。
つまり、安保法制の違憲訴訟において、最高裁が「安保法制は合憲である」という判決を出したり、あるいは、「安保法制という高度の政治性を有するものについては最高裁は判断をしない」という「統治行為論」に逃げて安保法制を合憲としかねないことです。

まず、違憲訴訟を提起されている安倍政権としては、裁判での訴えにおいて「従来の安倍内閣としての安保法制の合憲論(注:これは「4.」でご説明するように我が国の最高裁が北朝鮮の裁判所のようにならない限り、絶対に認められず違憲判決が下されるものです)」に加えて「新3項の改正によって、もともと合憲であった安保法制の合憲性は新たに担保されることになったのだ」という主張を持ち出してくることになります。

すると、最高裁としては、国民投票の結果として新3項が追加された、すなわち、それが安倍総理及び与党という安保法制を強行した政治権力をその後の国政選挙で支持している国民によって憲法改正をして可決された以上は、安保法制について違憲判決を出しにくくなることが危惧されます。
あるいは、より一層、悪名高い「統治行為論」に逃げ込む判断になりやすいと危惧されるのです。統治行為論は安保法制の憲法判断をしないという手法ですので、安保法制は合憲立法として残ってしまいます。

こうした「違憲立法を誤魔化しの憲法改正で合憲化する」というやり方は、憲法が立脚する法の支配・立憲主義そのものに反します。(ようは、法治国家がやることでは断じてない)
従って、そもそも改正原案の国会審議で自民党の提案者が「新3項は、安保法制の合憲・違憲は関知していない」との条文解釈を示している以上は(もっとも、これすら示さず強行する可能性もありますが)、最高裁としては司法権の存立に懸けて決然として新3項にとらわれることなく1項・2項のみを根拠に安保法制に対し違憲判決を出さなければなりませんが、戦後の最高裁の消極的な姿勢に鑑みるとこれは相当に困難なことではないかと危惧します。

以上、安倍総理が唱え始めた9条3項改憲は、「どちらに転んでも安保法制の合憲化改憲そのものであり、それは憲法9条の規範性そのものを根底から改変する改憲であると同時に、日本が法治国家として自殺行為を犯してしまうものである」ということになるのです。
つまり、安倍総理や与党議員の口車に乗って、この改憲に乗り出すと、後で幾ら後悔しても取り返しの付かない事態が生じるのであり、絶対に阻止しなければなりません。

逆に、9条3項改憲というこの危機を好機に変えて、違憲の強行という最大の政治犯罪である安倍内閣の解釈変更と安保法制の違憲問題について、強大な国民世論を形成し、安倍総理と与党を痛撃していくことこそ、安倍政権打倒の最強にして最優先の戦略にすることができます。
以下にその戦略をご提案していますので、ぜひご覧下さい。

※ 安倍政権を打倒する政治戦略の実行を!~「壊憲」インチキの世論化~

https://goo.gl/xl652H

本論の後半「4.」以降では、この「日本が法治国家として自殺行為を犯すものである」という意味について、「なぜ、安保法制が絶対の違憲であるのか」のご説明と「安保法制により、どのように日本が法治国家として破壊されてしまっており、それが、9条3項改憲によって取り返しの付かない崩壊にまで至るのか」について分かりやすくご説明をします。

 

※1 安倍総理が主張する自衛隊の存在の明記のための9条3項は以下の点でも法的に不合理な主張となります。

  1. (1) 9条の学会の違憲論は自衛隊の組織・装備の実体が2項の「戦力」に該当しているという評価に基づくものが主流である。仮に、新3項で自衛隊を明記しても第2項のこの評価が変わらない限り自衛隊の違憲論は学説として意義を有することになる。
  2. (2) 「憲法9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を一切行うことを禁じているように見える」(平成16年政府答弁書、7.1閣議決定等)という9条の文理としての解釈を、国民の生命を守ることを国政の最大の責務として定めた憲法13条等との論理解釈によって乗り越え、我が国に対する外国の武力攻撃が発生した場合にやむを得ず必要最小限の武力を行使する(限定的な個別的自衛権の行使)ことだけは認められそれを担う実力組織の自衛隊が合憲であるという歴代政府の憲法9条解釈は、例えば、「一切の表現の自由はこれを保障する」とある憲法21条の規定を、個人の名誉権を定めた憲法13条との論理解釈で乗り越える解釈などと法的には同じものであり、憲法はもちろんあらゆる法令で当たり前のものである。
  3. (3) 「憲法9条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を一切行うことを禁じているように見える」という9条の文理としての解釈は、肥大かつ暴走しがちな軍事的組織の目的・機能・規模・態様等を制限する強力な法的規範として機能してきた。安倍内閣もこの文理としての解釈を論理的に乗り越えられず「4.」で説明する「昭和47年政府見解の読み替え」という暴挙によって集団的自衛権行使を解禁するに及んでいる。新3項に自衛隊を明記することによって、新9条全体の文理としての解釈がこれと同じものを維持できるのかは不明であり、軍事的組織の統制規範としての機能が弱まる可能性がある。
  4. (4) 9条2項の戦力の不保持は、米空母カール・ビンソンのような攻撃型空母や戦略爆撃機、大陸弾道弾ミサイルといった攻撃的かつ侵略的な兵器は戦力に該当するため自衛隊はこれを保持できず保持した瞬間に違憲であるという厳然たる実体的な法規範としての意義を有する。つまり、自衛隊が合憲である根拠は2項との関係でも明煌かである。一方で、仮に、自衛隊を新3項に明記しても、(1)で指摘した問題は解決しない。(なお、2項の交戦権の否認との関係の説明は割愛する)
  5. (5) あらゆる政府の憲法解釈に対しては学会や政党からの違憲論があり得る。これに対し、違憲の行政組織、違憲の行政行為などという批判があるから憲法改正をしてそれを封じ込める必要があるというのでは、憲法が人権擁護規範などの意義を失ってしまうことになる。例えば、過去に違憲と学会から批判があった法律とそれに基づく行政の行為が、後に最高裁判決においても違憲とされた例が10余りあるが、もし、憲法改正でこうした法律等を合憲としてしまえば国民の権利救済がなし得ないことになってしまう。
  6. (6) 憲法には行政機関は「内閣」との規定しかなく、防衛省も国交省も海上保安庁も警察庁や総務省も規定がなく、尖閣諸島の警備当たる海上保安官や警察官、消防士の規定もない。自衛隊は、自衛隊法に基づく服務の宣誓により命懸けで職務の遂行に当たると明示で宣誓している唯一の国家公務員であるが、だからと言って、なぜ、自衛隊だけ憲法に明記するのかについて合理的な説明は見出し難い。

※2 安保法制を廃止した後の日米同盟のあり方や弾道ミサイル防衛のあり方などの政策論はこちらをご参照。「専守防衛に基づく安全保障政策論」として、ぜひ拙著P.123以下をご覧下さい。
http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/karakuri3-3.pdf
違憲の絶対証明」を含めた拙著の全編は以下でご覧頂けます。
http://konishi-hiroyuki.jp/heiwa-2/

※3 安倍総理の9条3項改憲は9条の破壊のみならず、9条の法的な母とされている全世界の国民が平和的生存権を有することを確認するなどの「憲法前文の平和主義の法理」をも破壊し、日本社会を全く別の社会に変容させるものでもありますが、この問題は別にご説明します。(以下は、ご参考)
http://konishi-hiroyuki.jp/wp-content/uploads/karakuri2-2.pdf


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